「男子の競技」

それが当たり前だったとき、私はスキージャンプに出会った。
試合も無ければ更衣室もない。

それでもスキージャンプの魅力に取りつかれ「スキージャンプをやりたい」と親に伝えた。
それが6歳。やりたいことは口に出すほうがいいことを覚えた。

同い年の仲間がノーマルヒルに初挑戦するとき。もちろん私も飛ぶ気満々だった。
周りは女子に飛ばせて何かあったらどうするんだ!

そこでも私は声を大にして飛びたいと告げた。

幼いころは、口に出すことでお父さんお母さんがなんとかしてくれた。
大きくなると、口に出すことで協力してくれる人たちが増えた。

そして大人になって口に出すことでプレッシャーを覚えた。

それと同時に言っちゃったからにはやるしかないとおしりに火が付いた。

スキージャンプに出会ってから、
女子スキージャンプがオリンピック競技になるまで30年。

私たち女子スキージャンパーが口に出した言葉や
お願いで数えきれない人たちが支えてくれた。
応援してくれた。
そんな人たちに、今度はお願いじゃなく、ありがとうを伝えたい。

2020年新型コロナウイルスにより、数々の試合が中止になりました。
沢山の方々が大変な思いをしている中、こんな時なのに・・

そう考える自分もいましたが、
言葉が持つ力、スポーツが持つ力って凄いんだと胸を張って言えるから。
今だからこそ!!
皆さんに少しでも笑いと勇気をお届けできますように。

もうすぐ  良い風が  吹く

Profile

1995年 日本女子初のラージヒル飛行

1997年 インカレで史上初の公開飛行 女子ジャンパーとして参加

1998年 史上初となる国際シリーズに高 校の後輩でもある葛西賀子とともに参戦 2008年 国際大会(コンチネンタルカッ プ)で日本人初優勝

2009年 史上初となる女子ジャンプが 開催されたノルディックスキー世界選手 権に出場

2013年 女性初の全日本スキー連盟 コーチに就任。高梨沙羅選手のパーソナ ルコーチに就任

2014年 ソチオリンピックに代表コー チとして参加

スキージャンプ=男性のスポーツと思っている方がほとんどだった時代。

1984年には全国でたった3人の女子選手がいました。

「いつか五輪の正式種目に」

2009年、まずは1人でも多くの方に女子スキージャンプを知ってもらおう。

そんな思いから女子スキージャンプ選手紹介冊子「美翔女」を、

パイオニア山田いずみさんと縁があり発行を開始しました。

それは大きな大きな夢に向かっての小さな小さな一歩でした。

そこから約9年、全力で飛び続けた選手、オリンピックの正式種目になり

メダリストを輩出するまでになったのはご存知かと思います。

2018年、「美翔女」は一つの役目を終えました。

その時、いずみさんと話した、つぎは女子ジャンプの映画やりたいね!笑

この冗談半分で話した事「元案」が全ての始まりでした。

それから4年後

短編映画「ウィンドガールズ」は自分らしい一歩「ジャンプ」を経て

自分にしかできない、それぞれのテレマーク「着地」を目指す

4人の女性達が成長していく物語です。

スキージャンプという競技がもう少しだけ、

身近に感じてもらえるような作品を作りたいと思ってます。

Profile

小樽市出身。合同会社マカロニ写真事務所代表。

人物を中心に広告、映画など幅広いフィールドで活動中。

2018年、高梨沙羅写真展(六本木ヒルズ)開催。
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